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結婚とは、独身時代に後ろめたく思わなくて済んだことのひとつひとつに、罪悪感を持たざるをえなくなる仕掛けだった。
まさに私が思っていることだった。
語彙力がない私には文章に表すことができなかったから
言い当てられたようでハッとしてしまった。
幸せではあるんだけどね…
今日は愚痴について思ったこと。
私は社会に出てから社内で本当に気の許せる人に会ったことが…あるが、これといった愚痴を言ったことがないつもりだ。
はじめに勤めた職場では、ちらっと言うだけで、込み入った話はしなかった。
愚痴をその人に話したところで、その人が現状を解決してくれるわけでもないからだ。
私が苦痛を人に伝えるときは、この人なら解決してくれるんじゃないか…と期待が持てるときしかない。
解決に結びつけてくれない人に話すのは無駄だと思った。
同情されたところで何になるのと思う。
その職場で私はとにかく問題を解決したかった。
メンタル的に参って、出勤中に涙が止まらなくなることが続き、3日ほど休んだ。
その後出勤して言われたことが
「次に繋がるための休養だったら取っても構わないよ」
優しい言葉だと思った。でも私の抱える問題の根本的な解決にはならないことだった。
それから1年後くらいだろうか。忘れるわけもないから書くだけ無駄なので書かないが、いろいろあって結局退職した。
無印時代では序盤こそ指導されストレスを抱えることがあったものの、慣れてからは比較的心穏やかに過ごせていた。
ただ…改装準備のとき。
みんな精神的に余裕がなくなっていて、きつく当たられた時があった。
毎日泣いて出勤していたような気がする…。
ママさん先輩が気にかけてくれて、声をかけてくれたけど、そのときも話したところで何か変わるわけでもないと思って大丈夫そうに振る舞っていた気がする。
余裕がなくなるとこうなるんだな…とそのときに学んだ。
今だけだと割りきれていた部分も心のどこかにあったのかもしれない。
実際、荒れていたのはその時だけで、改装、ニューオープンと経て、客足が通常モードになった頃にはいつも通りに戻っていた。
そして今。
心に引っかかることはまあまああるが、あっても同僚には相変わらず話していない。
いつものことながら「話したところで…」もあるのだが、理由はもう一つある。
「◯◯さんがこう言っていた」という伝言ゲームが始まるからだ。
本気で誰も信用できない状況だと思った。ここでは愚痴は話しちゃいけないと。
愚痴を話さない自分がかっこいいとかそんなことを言っている場合ではない…
些細なことでも、一歩引いて考えてから発言をしようと思った…
女子って本当にめんどくさいな…
私は愚痴は本当に信頼できる人間にしかしてはいけないものだと思っている。
外で話すとどこで穴が開いて空気が漏れるかわからないからだ。風船なんて目じゃない。
だから家族にしか基本は話さない。これからもそうするだろう。
もともと愚痴を言いたくないっていうのもあるけど…
だから家族に話す時もさらっと話して終わりになることが多い。
大抵のことは自分の体の中に溜め込んで、毒素が抜けるのをじっと待つだけ…
生きることって大変だ。
自分を見失わないようにしたいな…