げろげろ

はきだしたい

お題「思い出のWebサービス」

 

私が初めてWebに触れたのは小学校低学年くらいの時でしょうか。

父が購入したノートパソコンで、家の電話線をパソコンに繋いでインターネットに接続していました。その間は家の電話が繋がらなくなるため、限られた時間にしか出来ない貴重なものでした。

当時は自分の好きなキャラクターを調べたり、お菓子のホームページを見たりしていました。

ピカチュウの顔が画面いっぱいに表示されるスクリーンセーバーも…懐かしいですね。

 

私が小学校高学年の頃に家を建て替えたタイミングで、父の書斎に専用の回線を引いてもらい、時間を気にせずインターネットが出来るようになりました。

中学に入り、自分のホームページを持っているという友人に出会ってからは、毎日毎日インターネット尽くしでした。

 

中でも1番思い出に残っているWebサービスは、HTMLでのホームページ作成サービスです。

 

今はPixivやSNSの流行により、利用しなくなってしまいましたが、当時は持ち家のようにそれぞれ手作りのホームページを構えて、その中に自分の作品やイラストを載せたりしていました。

知り合いのホームページを見に行くのが、友人の家に遊びに行くような感覚でとても楽しかったと記憶しています。

 

ホームページもそれぞれ個性があって、HTMLを駆使して、ある程度までなら自分の思い通りに作ることができます。

 

ホームページに使用する背景やアイコンの素材を配布するサイトがあり、それらを駆使して自分好みのホームページを作りあげていきます。

色もHTMLコードで様々な色を使うことができ、それぞれの色のコードをまとめているサイトもありました。

 

自分のホームページを持つなんて夢のまた夢だと思っていたので、友人からノウハウを教えてもらったときは本当にワクワクしました。

それからインターネットで情報収集して、たくさんのことを学んで、ようやく自分の思うままにカスタマイズできるようになったときの興奮は今でも忘れられません。

 

私はイラストを描くことが好きだったので、自分のイラストを掲載するホームページを持っていました。

 

季節ごとにトップに掲載するイラストを描いたり、知り合いの誕生日にはイラストを描いてお祝いしたり…。

イラストを描いて、パソコンに取り込んで着色、画像をHTMLに組み込んで、ホームページに反映させる…かなり手間はかかりましたが、コンスタントじゃないからこそやりがいがあり、その一連の流れが私は好きでした。

 

これからのweb事情も、毎日少しずつ進歩して、より便利に変化していくでしょう。

私もこれからの進歩に期待している一人です。

 

昔の煩わしさが恋しい、あの時代に戻りたい…と思ってしまうこともありますが、こんな思い出に浸れること自体が幸せで、いわゆる黎明期の真っ只中に身を置けたことがとても貴重な体験だったと今になって思います。

 

SNS主流の時代を懐かしく思える日が来るでしょうか。

SNSはかなり息が長そうなので、自分がインターネットに触れなくなるのが先か、さらなる黎明期に突入するのが先か楽しみにしながら首を長くして待つのみです。

私は今まで県外から出て暮らしたことがなく、県内のことしかわかりません。

世間一般ではまだ若者の部類に入ると思うので、キラキラした都会への憧れは捨て切れずにいます。

 

私の出身は東北の田舎町。

幸い県内で1番栄えている中心地に近い地域だったので、車で30分ほどでちょっとした都会感味わうことができました。

休みの日には、特に欲しいものや、買うものがなくても、おしゃれをして出かけるだけで充分に満足でした。

都会に出向いて、季節感を味わうことも楽しみの1つだったと思います。

 

結婚、引越しを経て、今は利便さだけで楽しさがあまりない地域に暮らしています。

率直に、本当につまらない街だと思いました。お年寄り向けのお店が並び、若者の娯楽がない。

少子化が進むのも仕方がない、ただのお年寄りの街じゃないか、とひどく落胆した記憶があります。

 

幸い隣町に大きなショッピングモールがありますが、何度も何度も足を運んだのでもう飽きてきてしまいました。

 

この街を楽しめるようになりたいものです。

◼️

飲み会はいつになっても嫌だね。メンバー運もあるけど。

今日はよく頑張った方だよ。

 

でもやっぱり飲み会終わった後は死にたくなるね

みんなの記憶から消えて欲しい。

苦しまずに死にたい

 

仕事なんかしたくない

仕事しなくてすむなら子供もいらない

 

いっそ子供作れない体なら

理由になるのに

 

1年前の私へ

変化が苦手なお前は、変わろう、ここに慣れなければいけないと自分を急かしていたんだと思う。

 

生活は秋田市にいた頃から180度変わって、

仕事も、家事も、生活圏も、名前も全て変わった。

自分の身の回りの変化だけでもう目一杯なのに、

自分の内側も今の職場に馴染むように変えないといけない、

でもどうしたらいいのか分からないから、

本当に必死で苦しかったと思う。

 

自分のことで精一杯だから、周りが見えてなくて興味が持てなかったし(今考えたらひどいことも言った)、そのことで余計に馴染めなくて、疎外感を感じて、本当に苦しんでいたと思う。

 

私が馴染めなくてウジウジしてる一方で、同期はどんどん馴染んでいく。

焦って焦って、でも分からない。

馴染めない自分が悪いんだってずっと自分を責めてた。

 

でも今は

少しずつだけど慣れてきたよ。

お前は頑張った。

なんで慣れてきたのかは分からない。

後輩が入ってきたからかもしれない。

でもあまりこのことを掘り下げて考えるのはやめた。

 

話すのは相変わらず苦手で、

学芸のクソ野郎に嫌なことを言われたりもしたけど

なんとか頑張ってるよ。

明日の飲み会がどうなるかがとても心配だけど…。

 

あと、趣味がないって嘆いてたけど、

立派な趣味を見つけたよ。

最近はあまりできてないけど、カメラ。

飽き性だから、撮った瞬間に作品になるのが向いてたみたい。

あとは、インテリア熱が再発したよ。

ササキに反対されてばっかでむくれたりすることも多いけど、

少しくらいワガママ通しちゃっていいよ。

今まで散々苦しんできたんだから。

 

そうそう、苦しんだ、といえば、

散々嫌だ嫌だ騒いでた結婚式、

お前の言う通り最悪だったよ。最後まで良かったとは思えなかった。

思い出したくないから深くは書かないけど、

親、周りが、みんないい結婚式だったって言ってくれたから、

この気持ちはお前の中にこっそりしまっておくんだぞ。

ちなみに、お前はこれで友人を失った笑

というか、合わせる顔がなくて、関わりをあまり持たなくなった。

でも、それでもいいと思う。

自分1人の時間の方が好きだから。

 

お前はこの数年で散々嫌な思いをして、散々苦しんできた。

だから今は嫌なことから逃げる権利があると思う。

そう思って、何か新しいことをしなきゃ、と前のめりになって応募した、

手話講座を修了認定までほんの数回残して辞めた。

途中から嫌々通ってきたけど、もう、いいかなって。

 

少し体力がついてきたら、無印にいたときみたいに、少しギアを上げてみても良いかもしれない

それがいつになるかは分からないけど。

 

明日の飲み会、心配だね。

でも頑張っておいで。


そうそう、書き忘れたけど

最近のお前、文句が多すぎる、屁理屈こねるな

これは環境の変化でそうなっちゃったのかもしれないけど

昔はそんな言ってた記憶無いしね…

言葉には気をつけた方がいいよ

嫌われちゃうよ

とても久しぶりに書く。


昨日は、結婚式の打ち合わせだった。

勤務終了前から頭痛がひどくて、少し心配だったが、車を運転していたら少し楽になったのでこのまま引くかなと思っていたら…

打ち合わせが始まったと同時にものすごい倦怠感、吐き気、呼吸の乱れが起き始めた。

ただただ耐えるしかなかったので、話なんてほぼ聞いてなかった。

途中で旦那に知らせて、少し早めに切り上げてもらった。

帰りは運転できなかった。


車で横になっていたらみるみるうちに回復して、帰宅する頃には症状はほとんど治った。

生理のせいかなと思ったけど、多分ストレスかもしれない…。


自業自得だけど、今つらい。

精神的に。

というか、ここ最近しばらくだなあ。

消えたい。


結婚とは、独身時代に後ろめたく思わなくて済んだことのひとつひとつに、罪悪感を持たざるをえなくなる仕掛けだった。

 

宮部みゆき模倣犯」の一文。

まさに私が思っていることだった。

語彙力がない私には文章に表すことができなかったから

言い当てられたようでハッとしてしまった。

幸せではあるんだけどね…

 

今日は愚痴について思ったこと。

私は社会に出てから社内で本当に気の許せる人に会ったことが…あるが、これといった愚痴を言ったことがないつもりだ。

はじめに勤めた職場では、ちらっと言うだけで、込み入った話はしなかった。

愚痴をその人に話したところで、その人が現状を解決してくれるわけでもないからだ。

私が苦痛を人に伝えるときは、この人なら解決してくれるんじゃないか…と期待が持てるときしかない。

解決に結びつけてくれない人に話すのは無駄だと思った。

同情されたところで何になるのと思う。

その職場で私はとにかく問題を解決したかった。

メンタル的に参って、出勤中に涙が止まらなくなることが続き、3日ほど休んだ。

その後出勤して言われたことが

「次に繋がるための休養だったら取っても構わないよ」

優しい言葉だと思った。でも私の抱える問題の根本的な解決にはならないことだった。

それから1年後くらいだろうか。忘れるわけもないから書くだけ無駄なので書かないが、いろいろあって結局退職した。

 

無印時代では序盤こそ指導されストレスを抱えることがあったものの、慣れてからは比較的心穏やかに過ごせていた。

ただ…改装準備のとき。

みんな精神的に余裕がなくなっていて、きつく当たられた時があった。

毎日泣いて出勤していたような気がする…。

ママさん先輩が気にかけてくれて、声をかけてくれたけど、そのときも話したところで何か変わるわけでもないと思って大丈夫そうに振る舞っていた気がする。

余裕がなくなるとこうなるんだな…とそのときに学んだ。

今だけだと割りきれていた部分も心のどこかにあったのかもしれない。

実際、荒れていたのはその時だけで、改装、ニューオープンと経て、客足が通常モードになった頃にはいつも通りに戻っていた。

 

そして今。

心に引っかかることはまあまああるが、あっても同僚には相変わらず話していない。

いつものことながら「話したところで…」もあるのだが、理由はもう一つある。

「◯◯さんがこう言っていた」という伝言ゲームが始まるからだ。

本気で誰も信用できない状況だと思った。ここでは愚痴は話しちゃいけないと。

愚痴を話さない自分がかっこいいとかそんなことを言っている場合ではない…

些細なことでも、一歩引いて考えてから発言をしようと思った…

女子って本当にめんどくさいな…

 

私は愚痴は本当に信頼できる人間にしかしてはいけないものだと思っている。

外で話すとどこで穴が開いて空気が漏れるかわからないからだ。風船なんて目じゃない。

だから家族にしか基本は話さない。これからもそうするだろう。

もともと愚痴を言いたくないっていうのもあるけど…

だから家族に話す時もさらっと話して終わりになることが多い。

大抵のことは自分の体の中に溜め込んで、毒素が抜けるのをじっと待つだけ…

 

生きることって大変だ。

自分を見失わないようにしたいな…

納得のいく自分になれない

飯のメニューは浮かばない

弁当は作らない


自分の飯が不味すぎて死にたい


これって嫁としてアウトだよね?

多分、職場でも弁当を作らない嫁って見えてるんだろうなと思う

あれ?死にたくない?笑


料理が嫌いすぎる…

嫌でもやらなきゃいけないんだろうけど

無理だわ…

嫌だからやらなくて済む人が羨ましい


楽しい事っていうか

これをして、満足した!って思える趣味が欲しい

絵はその時の気分だし

読書はその世界に逃げてるだけだし


なんか私ってなんでも退屈な方向に考える人なんだな

つまらない人間だわ


自分がクソすぎて

佐々木のフォローも悲しく感じることがある


佐々木って自分ではコミュ障だとか言ってるけど

実際は周りから慕われてるから

ああ実際はそうじゃなくて

同調してるだけなんだろうなって

思うと悲しくなる

私にも気を遣ってるんだろうか

わかってきたけどわからない事もある

優しすぎるのは人を傷つけるってこの事なのかな


そうは言うけど実際はそうじゃないじゃんってところがたくさんあって

佐々木の見えてないところはたくさんある


自分の嫌なところばかり見えて

本当に消えたくなる

そういうところは見せられないけど…


家事料理完璧にこなして…女として生きるのって私には向いてないわ


既婚か否かって確かに社会的に地位が違うけど

なんかその分私生活で苦しいなって思う事もあるんだなあって思った


最近自分の全てがコンプレックスだ

佐々木が出木杉くんすぎてね…

相応しい嫁になりたいけど

なれないわあ…ごめんね…